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私が私であることを決めるのは何か

黒崎正男さんの「身体<の>疎外」の感想です。

簡単なまとめ

デカルトは身体は精神の入れ物でしかないと考え、「物心二元論」を生み出した。私が私である所以は精神によってであり、身体よりも精神の方が優れていると提唱した。この考えの問題は、身体を機械のようなものとして考えてしまう点にある。そのため、20世紀にメルロポンティは身体の復権を唱えた。

20世紀後半においても、私の意識、精神こそが私たる所以であると考えられていた。

しかし、科学の特にバイオメトリクス認証の発展により、身体が私である所以ともいえる事態が起き始めた。私の意思にかかわらず、指紋、眼の虹彩から私が私であることをアイデンティファイする。これまでとは逆に、身体が精神を疎外しているのである。

「身体の疎外」というと、意識や精神が身体を疎外していると考える。しかし、「の」を主格としてとらえると、身体が精神を疎外しているとも考えられる。テクノロジーと身体が手を組み、私が疎外されるのである。

脳科学の発展により、化学反応や電気信号から意識が生み出されていることが分かってきた。

身体と精神が逆転する時代に突入していくのかもしれない。

感想

深く考えたことがないことだったから、読んでいて考えさせられた。哲学と科学が密接にかかわっていると改めて思った。今年ノーベル化学賞を受賞したゲノム編集の技術である「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)もどのように扱っていくか倫理的に考えていく必要がある。こういう議論は時間がかかり、科学は結論が出るまで待てないことが多い。この問題をどう解決するか、考えていこうと思う。

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